識はもう"学ぶ"ものじゃない [前編]

  • interview

    猪飼周平教授
#1

高校までは、知識とは学ぶもの・受け取るものでしたよね。でも、実は大学には、本質的にそれとはまったく違う世界が広がっています。学ぶのではなく、知識を自分が生み出すこと。その営みのヒントを、社会学部の猪飼先生に伺います。





一生を使って解くクエスチョン

――先生はどのように研究を進めていらっしゃるのですか?


 研究者が研究をして得られるものは、知識だけなんです。究極的にはそれだけ。だから研究者というものは、一生を使ってもいいくらい知ることが面白くないと成立しない。逆にいえば、一生使って知りたい「クエスチョン」を建てる必要があるのだけれど、それを自分の中に持つのが、結構難しいんです。


 いま一橋の教員のなかで――これはみんな意見が一致すると思うんだけど――研究を続けている人はおよそ半分くらい。残りの人は事実上もう研究をやめちゃっている。でも、半分もの人たちが研究をしていることは、全国的に見るととてつもなく高い割合なの。おそらく普通の大学、特に文系なら、研究している人は教員のなかの数%。実は、ほとんどの大学の先生と呼ばれるような人は研究していない。要するに、新しい知識を生み出そうとしている人は、全体の限られた一部なんですね。


 それが何を意味するかっていうと、キャリアを通じて研究しつづけることがすごく難しいということなんですよ。だから「権威になる」、「研究者としてみんなに評価される」なんてことは大したこと、重要なことだと思わない。むしろ大事なことは、キャリアをかけて続けられるくらいのクエスチョンにコミットしつづけられるか。


 ここが研究者としてのポイントだと気がついたのは、博士課程に進んだころでしたね。


 修士課程で、一生懸命修士論文を書いて、そのあとにどうやって研究を続けていこうって思ったときに、ちょっと違うテーマにいこうと思った。もともと僕は、医者のキャリアパスについて研究していた。それで、労働史っていう分野の歴史研究をやってみたいと思うようになって、それを指導教員だった先生に相談したんですよ。そうしたら「修論からテーマを変えた人で、成功した人はいません」って言われて(笑)


 これはいまから思うと、とっても大事なことだった。テーマを変えると、またゼロからやり直しになっちゃうんだよね。この世界の深い領域っていうのを理解する前に、別の問題に移っちゃう。それをずーっと繰り返していると――この世界に中核的な真実というのがあるとすればだよ――その表層的な部分をずーっとぐるぐる回りつづけるだけの研究者人生になってしまう。


 「だからそれではだめなんだ」ということを言われたんだなあと了解するようになったのが、それからしばらく後ですよね。何年か研究した後に、そういうことに気がついた。


 研究テーマをいかに変えないか、ということにすごく主眼に置いた。

 いきなりね、一生をかけて研究する値打ちのある問いにたどり着くことはできないわけですよ。やっぱり、目の前で感じた疑問を解いていくことからしか、研究って始められないから、そこからスタートする。


 でも、「すぐに一生をかけて研究する値打ちのある問いにたどり着かないこと」と「問いを変えないこと」をどうやって両立させるかっていう問題がある。


 僕の場合には、その問いを補題として含むような、より大きな上位の問いに移行しながら研究するというやり方に進んだんですよ。





知識はもう"学ぶ"ものじゃない

――授業には、どんな意味があると思いますか?


 小論文と論文の違いってわかります?


 あのね、君らが入試なんかで経験した小論文っていうのは、自分の意見を書けばよかったよね。ある課題に対して、自分なりの評価みたいな意見を書くのが小論文だった。でも意見は他人が生みだした知識を引っ張ってきているだけだから、小論文は知識の生産ではない。


 論文は意見ではない。論文は知識を生み出すために書くもので、論文が、問いを建てて解くという構造をしているのは、そのためなの。それは何のために書くかっていうと、知識を生み出すため。そのために作業をしている。論文を書いている人間は、知識を生み出そうとしてる。知識を生み出すためには問いが必要で、そのために問いを立てている。


 これは君らが、少なくとも大学に入るまでは経験したことがないことなんですよ。知識っていうのは「生み出す」ものではなくて、「ある」ものだったよね。受容したり、学んだりするものだったよね。


 大学は誰も知らないこと、誰もわからないことにトライしていって、理解していって、知識を生み出すっていう現場。この一橋大学というのは、知識を生み出そうとする人がすごくたくさんいる、凝縮されている場なんですね。


 だから、大学の講義を受けるときに、すでに存在する知識を受け取るために授業に出るのではなくて、「この人たちはどうやって知識というものを生み出しているのかな」っていうことを知るために話を聞く、授業に出る。


 そういう活用が、君らにとって本質的な新しい体験のはず。そのために授業に出たり、ゼミに出たりできるといいな。



――先生の、授業へのこだわりはありますか?


 僕が生活保障論なんかでみせようとしているのは、知識を生み出すための観察の対象となるべき現場や、知識を生み出そうとしている人間の「背中」ですね。


 授業に真面目に出る人が増えているけど、知識をどんどん受け取っていって、それを処理するのが上手い人間に向かって進んでいるようにも見える。


 僕は、知識を生み出す現場を感じとることが一番大学的だと思っている。


 研究を一生懸命にやっている人って、やっぱり研究を面白そうにやっているわけ。自分は知らない世界だけど、「面白いことがそっちにあるのかな」と思わせてくれる人と出会うことができたら、いいと思いますね。



――授業とどういう関わり方をするのが良いと思いますか?


 僕は、授業っぽくない授業をしているつもり。


 君らにとって、モノを考えていくヒント――フックのように、「あっ!」って、何か手がかりになるような、素材みたいなもの――を渡せればいいなと思っている。


 僕自身が授業に出てなかったから(笑)やっぱり人の話を聞くのはつまんないよ(笑) 僕はね(笑)


 何かを自分で考えて、自分なりにこの世界のことを理解しようって意欲していたとき、授業は退屈に思うかもしれない。だから、上手に付き合わなきゃいけない。自分のそういう意欲っていうものを、削がないように。


 教室のなかでも、僕が話すことを知識として受け止めちゃっている人もたくさんいると思うんだ。百何十人もいるわけだから。だけどそのなかには、僕の話を横っちょで参考にしながら、自分の考えを進めようとしている学生がいるはずなんだ。そういう付き合い方をしてくれるといいと思いますね。



――授業をツールにするということですか?


 ツールじゃない。


 僕が研究するときには、知識とか情報をたくさん仕入れるんだけど、著者が何を言いたいのかを読んでいるんじゃない。この本に書いていることを起爆剤にして、どうやって自分の考えを前に進めるかを考えて読んでいる。この著者が何を言いたいのかはどうでもいい(笑) とってもエゴイスティックに読んでいるんだよ。


 それと同じで、先生が何を考えているのかとかはどうでもいい。


 自分が考えなきゃいけない・知らなきゃいけないと思っていることを知るために、授業を聞いているわけ。そういうことがなんにもないと、ただダーッと受け止めちゃう。


 研究者は誰も知らないことに挑んでいるから、やっぱり間違うこともある。先生の言っていることは正しいみたいな受け止め方は、授業をやっている側の立場からしたらあり得ないことだよ。子羊さんにもほどがある(笑) 先生のやっていることを疑え、ということとも違うんだよね。「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない話」として聞く。



――講義以外の、ゼミナール等の授業はどうでしょう?


 君らにとって重要なイベントがあって、それは卒業論文。卒業論文というのは、知識を自分自身で生み出そうとしてみる機会。外に発表するわけじゃないから、間違っても構わない。実際はそんな知識なんて簡単に生み出せるものじゃないけど。


 それでも、「知識を生み出すための思考方法」、これは「学ぶ思考方法」とは違うんですよ。


 卒論は、知識を生み出すための思考方法を経験したり、部分的であれ体得できる機会。卒論を書いて卒業することの意味は、知識を生み出すことがどういうことかっていうのを少し理解して卒業するということ。そういう思考方法が自分の中でできることによって……幸せにはなりません(笑)


 幸せにはならないんだけど、この世界は不思議なことだらけなんですね。僕らは、この世界のほとんどのことを知ることができない存在。そういった限界がある人間が、「この社会とは何だろう」、「この世界とは何だろう」、「この自分の周りにある不条理はいったい何なんだろう」とか、そういったことを考えていくための、自分のために自分で知識をつくるためのチャンスとして、大学はある。


 知識を学ぶのは、個人的には大したことじゃないと思っている。だって、学んだ知識なんて何年か経ったら陳腐化するんだから。進歩する分野なんかだと特にね。


 だから、いま知識を吸収することにどれほどの意味があるかっていうと、そんなにない。むしろ、知識との付き合い方のほうがずっと重要。中学・高校のころまで知識の受け入れ方について学んで、それが上手かった君らが一橋みたいな大学に来ているわけだよね。


 だけど、それとは違うモノの考え方があるってことを、せっかく大学に来たのなら知ってもらいたい。だからぜひ、知識を生み出そうとする世界がどんなところかを、大学にいるあいだに覗いてもらいたい。ほくほくと研究している背中を知ってもらいたい。そういう面白い世界がこの世の中にあるんだなと。そこがたぶん、一番大事なところ。


 システムの中でやむを得ず知識を吸収しなきゃいけないこともあるけど、本質的にはそこがポイントじゃないってこと。


 ゼミなんかにも過剰に期待しちゃいけない。


 「三人寄れば文殊の知恵」というのは、知識を生み出す現場ではほとんど役に立たない。知識はそうやって生み出されるものじゃないと思う。それは誰かがもともと持っているアイデアがあって、それを共有しているだけ。


 知識を生み出すのは、この世界について真剣にずっと問いつづけて、考えつづけて、一歩一歩ちょっとずつわかりながら前に進んでいって、「あっ、そういうことだったのか」ってわかっていく時間が必要。しかも、それは結構孤独な時間。その時間の重要性と面白さがちょっとでもわかったなら、僕はもう卒業証書あげます(笑) 勝手に卒業してください、その日に(笑)



[後編]に続く


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━教授情報━

猪飼 周平(いかい しゅうへい)

1994年に東京大学経済学部を卒業。

2007年から一橋大学社会学研究科准教授を務める

主な学部開講科目は 生活保障論 ヘルスケア政策 など