【教授の学生生活】ログラミングから英語教師へ

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    John Mancuso教授
#3

“マンキューソ”、一橋生なら一度はこの名前を聞いたことがあるのではないでしょうか?今回は“ドシビ・クレイジー”など、色んなイメージが一人歩きしているマンキューソ教授に、1年の頃からお世話になっているmanadia編集部員がインタビューをしてきました。実は理系だったマンキューソ教授が英語教師に至った道や反アメリカ感情が高かった時代のスペインへの留学のお話、さらには一橋生を見て思うことなど、色々聞いてきました。“なんかあの人やばいらしい”とか言っているあなた、とりあえずこれを読んでみませんか?



↑アンダルシアをレンタカーで観光していたときの写真。このとき25歳。ドラマのフルハ◯スの叔父さん役に似ているような……大学教授のイメージとは懸け離れた若かりし頃です。



実は学んでいたのはコンピューター工学

――学生時代はどこで過ごしましたか?

 学部生のときはニューヨークにある市立の名門、Queens Collegeで過ごしたよ。Jerry Seinfeldっていうコメディアンや、Paul Simonというシンガーソングライターとかも輩出しているちょっと面白い大学で。大学院はNew York Universityに進んだよ。


――何を勉強されたんですか?

 それに関してはちょっと面白くて、初めはコンピューター工学を学んでたのね。Queens Collegeでは最初の2年間はどの学部からどんな授業でも受けてよくて、そのあと専攻を選ぶんだよ。もともとコンピューター工学に興味があったから数学やプログラミングの授業を受講してて。でもそのあとロマンス言語に転換したんだ(笑)


――どうしてそこまで大きな転換をしたのですか?

 一人でいるのが嫌いで……コンピューター工学の生徒は基本的に一人でコードを書いてる孤独な学生なわけ。昔はコンピューターカードっていうものにコードを書いていて、そのカードを読み取り機に入れて。読み取り機は何百枚ものカードを読み取って、プログラムが動かしていたんだ。


――たったひとつのコマンドのために膨大な作業が必要だったってことですか?

 そう、もう信じられないレベルだったよ。色々なコンピューター言語と、何百枚のカードを使って、そのプログラムが何をしたかって?ただ円を描いただけ。僕たちは「うわあすごい!!円が描けた!すごい!」って大興奮していたんだけど、200枚くらいのカードを使って、やっと一つの円だよ?


――その時代のコンピューターって何ができたのですか?

 何もできなかった、本当に!メールも、ネットも何も……ただ円を描いただけ。1980年代だからね。それに、僕たちは今有名になってるPCの観点じゃなくて、工学的な観点から研究してたんだ。どうコンピューターが動くか、っていうところを。だからバイナリを学んだんだ。


――バイナリって何ですか?

 コンピューターが理解できる唯一の言語で、0と1から構成されている。スマホだって、基本的なレベルではバイナリしか理解できないんだよ。その0と1の配置によって、コンピューターに指示することができるんだ。こうして、0と1を使った4桁の数字が延々と並んでいて、僕たちはそれを読んでいたんだ。最初はさっぱりわからなかったけど、だんだん意味がわかるようになってきて。「あ、ここの0110のバイナリが間違ってるんだ、0001じゃないといけないんだ!」って会話をしていて……クレイジーでしょ?色々な授業をとっても、教授たちがやってることはひたすらこんな感じだった。僕はもうあきあきして、「もうたくさんだ!」ってなったんだ。


――もともとどうしてコンピューター工学をやろうと思ったのですか?

 将来性があったからだよ、みんな将来性があるって知っていた。もし僕がこの分野に居続けていたら、今頃研究の最先端にいたかもしれないけど、でもそうしたら僕は今よりももっと欠陥のある人間になっていたと思う。そんなの想像できる?0と1だけで生きている人。ちょうどコンピューター工学が合わないと思い始めていた頃に、非スペイン語学習者をスペインに連れていくプログラムのことを知ったんだ。母がペルー系で、スペイン語、イタリア語、英語を話せたんだ。で、母は僕にスペイン語を教えてくれたことはなかったんだけど、僕がスペインに行きたいと知ってすごい喜んでた。僕はスペインに行って、スペインに恋をしたんだ。



初めは将来性を感じてコンピューター技術の世界に入ったマンキューソ教授。でも一人孤独にコードを書き続ける生活に絶えられなくなっていた頃、ちょうどスペイン留学の案内があり、一言もスペイン語を話せなかったにも関わらず一念発起してスペインへ向かったとのこと。



スペインとの出会い

――スペインにはどれくらいの期間いたのですか?

 1回目は1学期間。ホストマザーにお世話になったんだけど、僕は始め一言もスペイン語が話せなくて、ホストマザーは英語が話せなくて(笑)


――コミュニケーションはとれたのですか?

 沈むか泳ぐか、つまり死ぬか生きるの戦いだったよ(笑) でもスペインに着いた次の日から大学でスペイン語の授業が始まって。スペイン語は日本語に比べると簡単な言語なんだけど、100%スペイン語で行われた授業で、あまりに厳しくて、離脱者が信じられないほど出ていたんだ。


――ひたすら勉強していましたか?

 勉強しかしていなかったよ。たった1学期で、大学で2年間かけて学ぶスペイン語のプログラムを全部やったんだ。つまり、1ヶ月で1学期分の内容をやったんだ。1日4時間、週5日授業があって、希望すれば追加課題もあったんだ。僕はいつも希望したから、学校が終わってから何時間も勉強していたよ。


――“スペインに恋をした”とおっしゃっていましたが、恋をしたのは言語にですか?国にですか?

 全部だよ。スペインは本当に素晴らしかった。でも当時スペインは混乱していたんだ。独裁者のフランコが死んで、初めて民主的に選ばれた大統領が就任したときだったんだ。その大統領はアメリカ軍をスペインから追い出すとか、色々なあることないことを言って人々の支持を集めたんだけど、そのせいで国中に反米感情が広がっていたんだ。そのとき20歳だったんだけど、「僕はスペイン語を勉強したいだけなのにみんな僕のことを殺したがってる」って思ったよ。当時のスペインは僕にとって敵意があって危険なところだったんだ。


――危険を感じたことはありましたか?

 毎日だよ。僕はジーパン、Tシャツ、バックパックっていう典型的なアメリカ人の格好をしていて。そのせいで“アメリカ人を殺せ!”っていう看板を持った反米デモ隊に出くわした際には追いかけられて、傷だらけになりながら必死に逃げたよ。でも僕を変えたきっかけがあったんだ。ある日バスに乗ろうとしたらアメリカ人だからっていうだけで運転手に乗車拒否をされて、周りの人たちに助けを求めても誰も何もしてくれなかったんだ。僕はこれに傷ついて、そしてアメリカ人の格好をもうやめないといけないと思ってホストマザーと一緒にスペイン風の服を買いに行った。服装を変えた。たったそれだけなのに、みんな僕に構わなくなったんだ、いい意味で。僕は透明になって、スペインの社会にすっと入り込んだ。そのあと全く同じバスの運転手に出くわしたんだけど、全く気づかれなかった。気づかれるか試そうと思って話しかけてもみたんだけど、全く。服装だけなんだ、それ以外何も変えてない。それなのに周りからの扱いが全く変わった。その後は住んでいた地域特有のアクセントも身につけた。


――そんな経験もした中でスペインに恋をしたのはなぜですか?

 まぁ、人生はバランスだからね。ひどいことが起きたとしても、全部のことをバランスを考えて見ないといけないんだ。スペインにいた間に出会った素晴らしい人々と、心踊る出来事が、ネガティブな出来事をはるかに超えたんだ。嫌なことはたくさんあったけど、スペインの国と言語の面白さに比べたらどうってことはなかった。それから文学と、スペインの人々に惹かれていったんだ。



↑Llerenaという小さな街に、ルームメイトの結婚式のために向かったときの写真。このとき23歳。看板を押したいのか……いまいちポーズの真意は読めませんが、映画に出てきそうなワンシーンです(笑)



アメリカ人にとっては厳しい時代の中でもスペインの文化、人々、言語に触れ、スペインが大好きになったというマンキューソ教授。1学期と夏休みをスペインで過ごしたことで、将来の道が大きく変わったそうです。



進路の変更

――スペインで1学期間と夏休みを過ごしたあとはどうされたのですか?

 スペインから戻ってきたときに、「もうたくさんだ、コンピューター工学は続けない」と思ったんだ。父は激怒したけどね。Queens Collegeでスペイン語の授業を取り続けて、そのあと1年間スペインにまた留学したんだ。その留学から帰ってきたときに正式に専攻をロマンス言語に決めたんだ。Queens Collegeのロマンス言語学部はちょっと変わっていて、学部に入るにあたって誓約書にサインさせられるんだ。内容は結構シンプルで、「スペイン語しか話してはいけない」というもの。もし英語で教えられている授業だったらもちろん英語を使っていいんだけど、同じロマンス言語学部の生徒とは学外であっても、週末であっても英語で会話してはいけなかったんだ。ちょっと変だな、とは思いつつサインをしたんだけど、ある日教授相手にこのルールを破っちゃって……アメリカ人の教授だからいいや、と思ったんだけどダメで、学部長のところに言って散々怒鳴られたよ、「これが誓約書だ!!もう一度読め!」って。


――そのあとルールを破ったことはありましたか?

 いやいや、もうパラノイド状態だったよ!ある日、イギリス育ちのジャマイカ人の友達とドライブしていたんだけど、「この車って盗聴されてたりしないよね……?お互い母国語は英語だし、英語でしゃべってみない?」って言ってちょっとだけ英語で会話をし始めたんだ。でもあまりに怖くてすぐにやめた。それくらいビクビクしていた。


――そのあと大学院に進まれましたが、そこでは何を学ばれたのですか?

 そのあと大学院に進まれましたが、そこでは何を学ばれたのですか?


――もうその頃には教師になりたいと思われていたのですか?

 そうだね、スペインに住みたかったから。そのあとスペインでいくつか仕事のオファーがあったんだけどうまくいかなくて、結局サウジアラビアに行って、そのあと日本に来たんだ。


――コンピューター工学をやめてロマンス言語学部に入ったことを後悔したことはありましたか?

 どうだろう……でも、もしコンピューター工学に進んでいたら、僕の人生は全く違ったものになっていただろうね。アメリカから出ることはなかっただろうし、すごくつまらない人生だったと思うよ。ロマンス言語を選んだからこそより興味深い人生になったと思う。それに、当時コンピューター工学はただコードを書くだけのものだったんだ。この分野がすごく面白くなってきたのはここ最近の話にすぎないんだよ。となると、もしこの分野の研究をし続けていたら、僕は人生のうち30年もの時間を、まだ面白くなっていない仕事に費やすことになっていたんだ。それに、ただ円を描くことよりも、教師として生徒に教えることで社会になんらかの貢献をしたと信じたいんだ。



アメリカにいるのに英語が禁止、と少し変わった学生生活を送ったのち、英語教師への道を進み始めたマンキューソ教授。現代においてはAppleなどIT技術の成長がめざましく、「あの頃進路を変えずに続けていたら……」などと考えてしまいそうですが、生徒に教えるということで社会に貢献できていると信じたい、ということ。

そんな教授に学びについて聞きました。



↑授業はいつも全力なマンキューソ教授。これはHGP科目のPresentation Skills in Englishの授業での一コマ。顔を真っ赤にしていますが、このとき全く怒っておらず、生徒は全員爆笑していました(笑) “怖い”・“ドシビ”など色々なイメージが飛び交っていますが、本当は生徒想いの優しい教授です。



学びの機会を大切にする

――いろんな国で学生を見てきて、一橋の学生ももう何年も見てこられていると思いますが、今の一橋生についてはどうお考えですか?

 まず、個人的には遊ぶことをやめるべきだと思うよ。日本は変わった国なんだよ。考えてみれば、君たちの大学生活は実質1年なんだ。4年間あるけど、4年目は卒論を書いていて、3年目は就活をしている。1,2年目があるけど、本当にしっかり勉強するのはゼミに入っている1年間くらいかもしれない。大げさな意見なのもわかっているし、反論する人もいるだろうけど、でも君たちは大学での3年間を無駄にしているんだよ。そして日本において大学は実質最後の学びの場なんだ。アメリカやヨーロッパだと就職しても大学で授業をとって学び続けるよう仕向ける業界が多いんだ。でも日本のビジネス界は大学での学びはあまり関係がなくて、ビジネスの世界で学ぶことは、授業でなくて周りの人から吸収することなんだ。だから君たちは素晴らしい機会を無駄にしているんだよ。


――勉強をすることが大事なのは理解できますが、一橋生、特に社会学部の生徒にとって、今学んでいることと将来の仕事とのつながりが見つけにくいと思います。その点についてはどう思われますか?

 これは教育の問題なんだよね。大学が、将来世界がどうなるか予見できると思う?できないんだよ。君たちは将来の仕事に応用がきっとできないであろう科目の授業も今取っている。でも、一つの分野にあまりに熱中するのはよくないんだ。もっと大きな視野で考えないと。例えばラテン語。僕はカトリックの学校に通ったからラテン語を学んだけど、「死語なのになんで勉強しないといけないの?」って不思議に思っていた。それでもなんで学ぶかって?ラテン語が他の言語にどう影響を与えたかがわかるからだよ。スペイン語を学び始めたとき、ラテン語とつながっていたから勉強するのがすごく楽だったし、英語にだって応用できるんだよ?一つのラテン語の単語が英語の何百もの単語に影響を与えているんだ。だからラテン語も他のことに応用できることを知ったよ。君たちはもっと広い視野を持つべきだ。経済とかマネジメントの授業でイノベーションについて教えられるかもしれないけど、それは本当のイノベーションじゃないんだ。イノベーションっていうのは、君たちがある分野で学んだことを別の分野に応用できる、と発見することを指すんだ。



一橋生へ

――最後に、一橋生に向けたメッセージをいただけますか?

 一つ日本の大学について良くないと思うのは、学生が部活やサークルに膨大な時間を費やすこと。部活のOBやOGを通じて就活のサポートをしてもらえるとか、活動の中で成長するとか、そういったメリットがあることは理解しているよ。でも学生が犯す間違いは、あまりに部活に力を注ぎすぎて、広い視野を失うこと。学びの機会を無駄にしていて、それは将来的に自分を傷つけるだけじゃなくて、最終的には自分の国を傷つけるんだ。僕たちは自分たちだけのために努力をしているんじゃなくて、家族だったり、会社だったり、そして国のためもあるんだ。どんな国も、国民によって成り立っている。国民がうまく機能できなければ、その国は経済的にも能力的にも落ちていき、世界の中での地位も失っていく。君たちが勉強するのは、将来自国に貢献するためなんだ。以上、格言だよ、そこまでクレイジーじゃないマンキューソからの(笑)



日本の学生にとって勉強は義務であり、また将来の仕事とのつながりが見えにくいものであることが多いかもしれません。でも“どんな勉強・知識も何かに応用できる。イノベーションと歌った授業もあるが、本当のイノベーションとは生徒自身が習っていることを別の分野に応用できることを発見することだ”と話されていたのが印象的でした。波乱万丈な人生を歩まれたマンキューソ教授の授業、受けてみませんか?


【教授の学生生活】プログラミングから英語教師へ 終




━教授情報━

John Mancuso(ジョン マンキューソ)

2005年04月~2007年03月 一橋大学大学教育研究開発センター 助教授

2007年04月~ 一橋大学大学教育研究開発センター 准教授